Life in Munich 33歳からのドイツ移住

ヨーロッパのど真ん中、ドイツのバイエルン地方にあるミュンヘンの暮らしやヨーロッパでの生活、国際結婚についてなど、幅広いテーマでゆるく更新していきます

私がドイツ移住を決意するまで①

さて、今回はそもそも、なぜ私がドイツに移住することになったのか、その決意までのお話を簡単にまとめたいと思います。

簡単に、といいつつタイトルに①をつけているのは、たぶんポイントを押さえて書いてもそれなりの分量になりそうだなーということなんですが笑

私のドイツ移住の主たる動機はつまるところ、ドイツ人のパートナーとひょんなことから出会うことになり、彼と一緒に暮らしていこうという決意があってのことなので、もちろん私たちが紡いだストーリーあってのことではあるものの、とはいえあまりプライベートな話にしすぎず、インターナショナルなお付き合いを現在している方や遠距離恋愛をしている方、国際結婚(ないしお付き合い)ってどんなものなのかなぁと思っている方の、少しでも参考になるようなことが書ければいいな、と思っています。

 

さて、思い返せば私の人生でドイツに暮らす、というフレーズが頭によぎったことは、マジで一度たりともありませんでした。

行ってみたいなぁ〜っていう観光地としてのイメージもなし笑

 

海外とまったく縁がなかったタイプか、と言われれば、割と海外旅行は好きなほうだったと思います。社会人になってからも年に一、二回は有休なんとかやりくりして海外旅行いってました。

そして学生時代一年、留学経験もありますが、そのくらいです。

 

だからまさか自分が30代を過ぎて異国、しかもヨーロッパのドイツにドイツ人のダーリンと暮らすことになるなんて、逆立ちしたって想像しませんでした。

高校時代から英語や語学に関心はあり、結果いろんな外国語が専攻できる大学に入学したこともあって、そこではイタリア語を専攻。

留学が夢だったこともあり、在学中一年間イタリアのフィレンツェに語学留学はしたものの、イタリア語をどう生かすか、ということと自分の仕事としてやりたいことの整合がつけられず、新卒で入社した某人材系大手(いまはIT企業になりつつありますが)は当時超ドメスティックでした。

なので23歳から働き始めて以来、好きだった英語や上達したイタリア語を使うような場面は皆無で、でも仕事はめちゃくちゃ忙しいながらも本当に楽しいことが多くて、あっという間に7年が過ぎました。

 

わたしの平凡な人生史上、もっとも大きな転機は、私が新卒から約7年務めた某人材系大手企業を退職したあとにやってきました。

 

私にとって当時仕事は人生そのもの。

大好きな仲間と離れるのも寂しいし、お世話になった上司からは最後まで引き留められるし、世の中水準的に言えば結構いいお給料をもらえている環境をなぜ離れたのか、と問われれば、それはもういろんな要素があるのですが、一言でいえば「なんのためにこんなに働いているのか、分からなくなった」でした。

 

当時の私の平均的な労働時間は、大体押しなべて平均12時間から13時間くらいだったと思います。(もちろん7時くらいに帰るときもありましたが、夜中まで働くことも多々あったので、平均値として)

ドイツという超合理的でエコな社会で暮らす今からすると、考えられない労働時間ですが、それでも当時の私はやりがいも見出していたし、自分の「成長感」だったり「達成感」だったりも一定あったので、労働時間そのものに大きな不満を感じたことはなかったです。自分でやりたくてやっている、という意識が強かった。

(ダーリンに話すと、何それ、全然共感できない、と一蹴されるので、仕事観や会社への帰属意識みたいなものは、日独間でかなり違いがあるんだなぁと思います)

 

でも7年間働く中で、会社の分社化やTOPの方針変更、現場の混乱など働く一人の従業員としてどうしたって納得がいかないことが多々あり、大好きだった仲間が体調を崩してやめて行ったり、クライアントに対して自分が納得いくサービスを提供できなかったり、ということが重なり、「あれ、私、こんなに働いてるけど、結局誰のためになにしてるんだっけ」となったのが30歳の年。

 

これも本当にご縁なのですが、まさにそのタイミングでもともと務めていたその人材大手でかつて同僚だった人たちが立ち上げた、超ベンチャーの人材紹介会社で一緒に働かないか、という誘いがあり、もともと何か大きな決断をするときは直感で動く部分が多い私らしく笑、31歳になったその年に新卒から務めていた会社を退職する決意をしました。

 

そしてやってきた約一か月半の有給消化。

 

退職時に溜まっていた35日ほどの有給を最後にどう消化しようか、と考えたときに思い付いたのが、「そうだ、学生時代に留学していたイタリアにちょっくら長期で滞在し、私の朽ちかけたイタリア語を少し呼び覚まし、ラテン気質のイタリア人の空気に触れてリフレッシュして帰ってこようじゃないか」というアイディア。

 

我ながら、本当に良い有給消化のアイディアだったと思います。だってただのリフレッシュだけでなく、未来の旦那に出会っちゃったわけで、まさに一石二鳥笑

 

とはいえ、当時の私はそんなこと夢にも想像せず、ただ日本人が少なそうな暖かい気候の街に行きたいなというイメージだけで、イタリアのサレルノという小さな海沿いの語学学校のコースを3週間選択。

そこで今のドイツ人ダーリンと出会うことになります。

 

②につづく