Life in Munich 33歳からのドイツ移住

ヨーロッパのど真ん中、ドイツのバイエルン地方にあるミュンヘンの暮らしやヨーロッパでの生活、国際結婚についてなど、幅広いテーマでゆるく更新していきます

私がドイツ移住を決意するまで②

なぜ私がドイツに移住することになったのか、その決意までの話を簡単にまとめた第二弾。

 

①では、私が今の旦那と出会うきっかけになったイタリア滞在までの話をしたので、②ではイタリアで出会ったときの話、そしてそれ以降の日本ードイツ間の遠距離恋愛に至るまでの話が中心になります。

 

さて、 31歳の初夏、私はイタリアのサレルノという小さな町の語学学校にいました。

 

なぜサレルノという町をあえて選んだのか、でいくと、学生時代フィレンツェに留学していたときの経験上、日本人観光客や留学生が多いところは、短期間でイタリア語の上達をしたいという目的上、できれば避けたいというのが一番の理由。

日本人ってどうしても集団で固まってしまう部分があるし(まぁどこの国もそうなんだけど)、できれば環境的にその心配がないところに行きたかったのです。

二番目は、せっかく初夏の気候の良い時期にイタリアに長期でいけるので、海沿いがいいなぁという、半分以上(ていうか、ほぼ100%)バカンス視点での選択でした。

 

少し本題から逸れますが、サレルノという町は南イタリアの主要観光スポットに行かれた方であれば、通過点として利用することが多い町です。

というのも、カプリ島アマルフィなど、毎年多くの観光客が訪れる場所へのフェリーが多く運航されているからです。

 

サレルノ自体は、観光地としてはそんなに見るべきところはありませんが、短期留学で特に夏場に滞在するには私はかなりおすすめの町です。

海沿いということはもちろん、何より気候が本当に素晴らしい!

私が滞在した6月はほぼ常に晴天、30度前後。カラッとしていて湿度もなく、海沿いですが観光地でもないので、食べるのも飲むのもコスパ良し。

新鮮なシーフードや、少し足を伸ばせば名物のMozzarella di Bufala(水牛のモッツアレラ)が食べれたりするので(これは本当に本当に感動レベル)、当初の想定以上に楽しい3週間になりました。

 

そこのサレルノの語学学校で出会ったのが、ドイツ人の今の彼。

 

当時私たちの語学学校仲良しグループは割と多国籍で、スイス、メキシコ、カナダ、ドイツ、スウェーデン、日本と、イタリア語が話せる人、大して話せない人ごちゃまぜで、みんなでワイワイと授業後ビーチにいったり、夜飲みにいったり、カプリ島アマルフィまで一緒に出掛けたり、と毎日を満喫していました。

ドイツ人の彼とは同じグループに所属していたものの、当時はただの「同じ語学学校のメンバー」というだけ。

ほぼイタリア語が初心者だが英語はペラペラの彼と、イタリア語は話せるが英語はほぼ話したことのない私との間の会話は、それはもうほぼジェスチャーレベル笑

はっきり言って、彼と何を話したのかそんなに多くを覚えていません。っていうか、ろくに会話できてなかったと思います。

 

唯一私が鮮明に覚えている彼との二人での会話は、同じクラスメートの子の家のベランダで夜飲みながら二人で山の上の城?みたいなものを眺めていた時に、「君がパートナーに求める一番大切なものって、なに?」といきなり聞かれ、面食らったものの、「うーん、信頼関係をしっかり築けるってことかな。それって結構難しいけどね」と答え、彼に「そっちはどうなの?」と聞いたら、「ユーモアのセンスがあること、一緒に笑えることかな」って言ってたことくらい。

そのときは、ドイツ人=堅物(失礼笑)というイメージが強かったので、ユーモアという彼の回答に意外性を感じたものの、ふーーんって感じて終わっていました。

 

そんなこんなで私の人生で最高に楽しかったサレルノ3週間のバカンスが終了。

 

一足先に彼もドイツのミュンヘンに帰り、そして私も東京にもどり、新しい職場でさぁ心機一転、新しい仕事を大好きなメンバーと頑張っていこう!と働いていた夏の真っ盛りに、彼から一通のメール。

 

「実は日本に行ってみたいと本気で思っていて、3週間くらいバックパックで行こうと思っているから、もし東京観光で会えたら嬉しいな」

 

てな感じの、特になんのラブコールがあったわけでもなく笑、普通に東京でちょっとでも会えたら、というトーンの連絡だったわけですが、私としてはイタリアでたまたま出会ったドイツの友達が日本に興味を持ってくれてしかも3週間もくるのであれば、できる限り接待してあげたい!(日本人のホスピタリティかつ営業魂的な観点で笑)と張り切ったわけです。

そして東京滞在時や近隣へのプチトリップなど、なんだかんだで手配し、一生懸命英語でお互いのことを話したり、一緒にいるうちに、おや?おやおや・・?なんだかこの人、めちゃくちゃ一緒にいて心地よいじゃないの。そして真面目な部分もあるけど、ベースはけっこう面白いじゃないの。と、新しい発見が重なり、最後にはなんだか良い雰囲気になりました、というのが、私たちの始まりです。

 

なにやら二人の間で友達以上恋人未満が始まったのはいいものの、終着点が全く見いだせなかった当時。(そりゃそうだ)

 

3週間の日本滞在ののち、羽田空港でドイツに帰る彼を見送るときに、もう二度と彼と会うことはないんだろうなーと思いつつも、彼に「この先、私たちの関係を進展させるのって、難しいよね・・?」と思い切って聞いてみたところ、「日本とドイツの距離は正直ありすぎるし、僕も君もお互いの国に何の縁もないよね。何か特別な関係を続けていくのは正直難しいと思っているよ」と、まぁ清々しいほどばっさりでございました笑

 

今思い返せば誠実で真面目なドイツ人らしい回答で、それは私が彼と結婚した今でも彼を100%信頼できる要素なんですが、何も別れ際にそんなはっきり言わなくてもいいじゃんね、と、当時はとんでもなく落ち込んだのを覚えています。なんか、もうちょい言い方ってものがあるよね、と笑

私も30歳を過ぎたいい大人だったので、そりゃそうだよね、はっきり言ってくれて(けっこう傷ついたけど)誠実な人だわ、と自分を納得させ、もし私がドイツに遊びにいくことがあったら連絡するね、的な定型挨拶をかわし、涙のお別れをしたわけです。

それが2015年の9月下旬。

 

未来はないね、という取り付く島のないやり取りで別れたので、そこから二人とも全く予想もしてなかったものの、約9000キロの距離と8時間の時差を抱えつつも、どちらともなく日本ードイツ間でのメッセージのやりとりが少しずつ始まったのが10月、そこから1年半の遠距離期間を経て、私がドイツに移住するという決意をするまでに至ります。

 

③に続く